こんにちは。ララ(@lalalamydays)です。年の瀬も迫った昨年の12月、無事第1子を産みました。産んでからすぐにベビちゃんのお世話が始まり、ブログを書く暇がなくなってしまったのですが、記憶があるうちに私が体験した出産の様子をお伝えしたいと思い、記事を書きました。これから出産を控えている方への参考になれば嬉しいです。
出産前日に始まったおしるしと陣痛の記事はこちらをご覧くださいね。

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陣痛が5分間隔になり病院へ
私の陣痛が始まったのは夜の20時頃でした。最初は陣痛だと気付かなかったのですが、段々痛みが強くなり23時頃病院に電話。すぐには病院に来てもいいという許可が下りなかったものの、午前2時頃とうとう病院へ行きました。
その頃には間違いなく陣痛が5分間隔で来ていました。
病院の入り口から入るも、数メートル歩いてはしゃがみ込んで陣痛に耐え、少し歩いてまた陣痛に耐え、という状態でした。
そしてそのままLDRへ。陣痛、分娩、分娩後の回復までを行うお部屋です。そこですぐにお産用の入院着に着替え、付き添ってくれていた母に入院の手続きをしに行ってもらいました。
早速、助産師さんが子宮の状態をチェック。するとすでに子宮口が4~5㎝開いているということでした。
子宮口が全開になるまで陣痛に耐える!
LDRへ入ってからはとにかく陣痛に耐えまくりました。ベッドで横向きになったり、上半身起き上がったり、床に四つん這いになったり…。とにかくいろんな体勢で耐えました。
とにかく痛い!
ヨガをやっているときのように呼吸に集中すると静かに耐えることができました。呼吸が乱れると、体をよじらせて「ぐー!」とか「くー!」とか唸りながら苦しんで苦しんで痛みが引くのを待つ…という感じでした。
ここまでくると声が出てもお構いなしです。
助産師さんがテニスボールを肛門のところに押し当ててくれました。噂には聞いていたけど、本当に効果抜群!痛みがマシになります。といっても助産師さんが常にお世話してくれるわけではないので、助産師さんがいないときは母に頼んで押してもらいました。
ですが素人が押し当てても全くダメ!全然違う。母が押すくらいなら自分で押した方がまだいいと思い、結局自分でテニスボールを押し当てていました。まあ、自分で押し当てるのも難しかったんですが…。
ただ母は背中をずっとさすってくれました。正直これだけでも全然違いました!かなり楽。普段母に何かお願いすることはなかったのですが、このときばかりは「背中さすって」と涙ながらにお願いしました。
陣痛は一人で耐えるのはかなり心細いです。誰かに付き添ってもらう方がいいんだなと実感しました。
子宮全開後、さらなる試練が!
その後、子宮促進剤を使いながら、子宮口が少しずつ開いていきます。助産師さんに「子宮口が7~8㎝になってきましたよ~」と状況を伝えてもらうとあと少しだ~!と思って励みになりました。
しかし、急に助産師さんたちがざわつき始めます。確かもう子宮口は完全に開いたころでした。
「赤ちゃんがね、通常は旋回して降りてくるんだけど、旋回せずに降りてきちゃってるの。それで頭が骨盤にうまくはまらなくて出てこれない状態になってるの。」
は、はあ、そうなんですか…。
「でね、赤ちゃんの頭の向きを整える体勢をとってみましょう」
陣痛に耐えながら赤ちゃんの向きを整えるために逆子体操みたいなポーズをとったり、横向きになったりしました。
これが辛い!
子宮口が完全に開くまではそこまで時間はかからなかったのですが、ここからがかなり時間がかかりました。5~6時間はかかったと思います。
助産師さんはずっと見ていてくれるわけではなかったのですが思わず辛すぎて、助産師さんに
「行かないでください…ここにいてください…」
と懇願していました(笑)
子宮口が完全に開いてもまだ生まれない!
そんなこんなで赤ちゃんの向きもなんとか直り、子宮口も完全に開いたのに先生は「まだ時間かかりそうだね~」と一言。
陣痛の間隔が短くならないらしい。
私からすると「もう十分短いんだけどぉぉぉ!」という思いでいっぱい。
「もっと間隔が短くなるんですかっっっっ!もっと辛いんですかっっっっ!
しんどいですぅぅぅ!」
と思わず言ってしまいました。
「頑張ってくださいね~」と助産師さんに励まされながら点滴から投与されている子宮促進剤は次第にMAXに。
「もう無理!」
と何回絶叫したでしょうか…。
「今からでも帝王切開にしてください」
と震える声でお願いもしました。
その度に助産師さんに励まされ…。
今は帝王切開しなくてよかった~と思うんですが、このときは本当に必死でした。
だんだん「いきむ」感覚に
陣痛の間隔が短くなったかどうかは実感ありませんでしたが、次第に「いきむ」感覚になってきました。
助産師さんの掛け声もいつの間にか「まだ逃して~」という声になっていました。よくわからないまま、必死にいきみたいという感覚を抑える時間が続き、しばらくして「いきみましょう!」という掛け声に変わっていました。
そしてどのタイミングだったかは覚えていませんが、いきむ頃になってベッドがいよいよ分娩スタイルになりました。
足を開いて…「息を吸って…止めて…はい!いきんで!」という掛け声に合わせていきみます。
これ、そう簡単にいきめません!
そもそも人前で開脚することに無意識に抵抗があるようで、すごい力で足を閉じようとしていました。
「足閉じないで~足開いて~」
と言われても体が言うことを聞かない。
しかもいきもうとすると肛門にも力が入ってしまう。恥ずかしながら、大をするときの感覚になってしまう。
しかしもうどうしようもなく、大をする気持ちでいきんだときに「そうそう、いいよ~その調子」と言われたので羞恥心は捨て去りました。
何度も何度も助産師さんに声をかけられてようやく少しずついきめるようになってきました。
とうとう無事に女の子が誕生!
病院に着いてから12時間以上経っていました。
死に物狂いでいきみ続け、とうとうその時がやってきました。
「頭が見えてきたよ~!触ってみる??」
気力が尽きかけていたのですが、触ってみる。股から何かが出てる!
「もう少しですからね~!赤ちゃんも頑張ってますよ!」
という声に励まされ、いきみ続ける。
もう限界…と思ったときに今度は
「赤ちゃんの髪の毛触れるよ~!触ってみる?」
ごめんなさい、もう気力限界…触る体力はありませんでした(笑)
そんなことより早く出して楽になりたい!というのが本音。
「もう無理、もう無理、これ以上耐えられません!」と言い続けていたら、急に「もういきまなくて大丈夫ですよ」と言われました。
「え?いいの?ほんとに?」
「ほんとです。もう産まれますよ。」
力が抜けたとたん、我が子がお腹から出てきました。
今までの痛みがなんだったんだろうと思うくらい急に体が軽くなって訳がわかりませんでした。
とにかく我が子を見て、産声を聞いて、安心して、ほっとしました。
これが私の出産の一部始終。
このあとバースカンガルーケアを行うんですが、その内容はまた次回書きますね。
出産前に疑問だったことについて
ここからは出産前に私が疑問に思っていたことについてまとめてみました。
導尿はしたの?
はい、しました。4回も!膀胱で子宮を圧迫しないほうがいいということで、しぶしぶやりました。もうね、自力でトイレに行けなかったんです。陣痛が痛すぎて。導尿はちょっと痛いですが陣痛に比べたらマシな痛さでした。
飲食はできたの?
飲み物だけ飲みました。
朝と昼と、ごはん食べる?と聞かれましたが、食べるなんて無理でした。飲み物はストローで飲む紙パックのりんごジュースと、ペットボトルのお茶を持参していました。ペットボトルには100均で買ったストロー付のふたを付けて簡単に飲めるようにしてました。
あまりの痛さにたくさん叫んだので、とにかく喉はカラカラ。水分補給というよりも喉を潤すという意味で飲んだ感じです。
会陰切開はした?
自然に切れたのか、切ってもらったのかはわかりません。覚えていません。結論としては縫いました。縫ったときは麻酔しました。麻酔の注射は痛かったけど、陣痛の痛みに比べればマシでした。
ウ〇コは漏れたの?
わかりません!ただ分娩体勢になってから助産師さんにずっと肛門を抑えられていたので、何かしら出ても気付かないうちに処理されていたように感じます。恥ずかしい!けど仕方ありません!
お産を経験して思ったこと
お産は自分ひとりで頑張るものではない、と思いました。
特に助産師さんの力添えがあったからこそやり遂げることができたと感じています。助産師さんの励まし、掛け声がこんなにも重要だとは思いませんでした。
私の場合、たまたま他のお産が少なかったタイミングだったので、分娩体制になってからは3人の助産師さんが待機してくれてずっと掛け声をかけてくれました。助産師さんたちの声がたくさんあればあるほど、励みになりました。もし助産師さんの励ましがなければ途中で力尽き果てていたかもしれません(笑)。
そして母。
私には夫がいないので、母が私の世話を焼いてくれました。背中をさすってくれたり、お茶やジュースを差し出してくれたり。正直母とは仲が良いわけではないのですが、このときばかりは心の底から感謝しました。
それに母もこんな辛い思いをして私を産んでくれたんだなぁと思うと、これからは母を大切にしたいと思うのでした。
最後に赤ちゃん。
赤ちゃんのパワーに救われました。病院に到着してから出産まで13時間。長い闘いを支えてくれたのは赤ちゃんです。
41歳、高齢出産、実はいつ帝王切開に変更になってもおかしくない状態でした。長い長い陣痛の間、お腹の赤ちゃんは心拍が低下することなくずっと強い鼓動を保ってくれました。
「赤ちゃんの心臓が強かったから帝王切開にならずに済んだね。」と助産師さんに言われました。なんて頼もしい我が子…。
私だけの力で産んだのではない、と実感しました。痛くて辛くて、羞恥心を投げ出して凄まじい顔になっていきみ続けたという体験は、本当に貴重な体験。新しい命の誕生の瞬間、部屋中がポジティブでハッピーな空気に包まれました。感動しました。
でももし、2人目を産むなら、無痛で産みたいです(笑)。

